施設長補佐 山田
特養には、大切にしていることがあります。
ほほえみの園理念と理念に向かう道のりとしまして『ほほえみケア』があります。
その中に
『ご家族と信頼関係を築き本人がやり残したであろう特別な何かを探り個人の生きた証を共有する。』
とあります。
平成18年を皮切りに数々のホームカミングをしてきました。
実際に家にお連れして差し上げようと思い始めたのは、当時ご家族様がご本人を連れての外出や外泊がドンドン減少する状況をみたからです。
理由は個々に様々ですが…
ご家族の高齢化や利用者様のADLの低下、自宅の構造上無理がある等で減少したのですが、
じゃあお手伝いできればいいじゃない?
ほほえみの入居者さん同志の思い出作りと気分転換の為の外出よりも本人の満足度の効果は上がるのではないのか??
家族に協力してもらえば家族との距離も縮まり知らない事も情報として聴けて信頼関係の構築にもなるのでは…
でも出来ない人にはどんな事が出来るのか?
現状に満足できない状態であったり慣れ親しんだ家でなければ環境変化や落胆から悪影響で状態変化に繋がったりしないか…等
捉え方を間違えれば心を開くどころか閉ざしてしまいかねないのではないか…との思いも出ました。
でも御利用者さんに残された時間・期間・寿命は私たちにはわかりませんから…出来ることはやろう!と決めました
自宅ではないホームカミング ???
慣れ親しんだ場所、最後に見ておきたい場所が家ではない場合も考えてみました。
教会・学校・職場・商店街等その方の思い入れはひとつひとつ違うんです。
家ではなく『そこ』に行く意味をみつけなければなりません。
『そこ』に行くには
それは『ほほえみケア』にあるように
『共感する姿勢・態度で本当の声を聞き分け心の声を捉える』そうなんです!利用者さんの『心の声』を聞かなければ出来ないんです。
その場所が持つ力に引かれなければ一緒に行く意味はありません!
最期に行くからホームカミング?それも本来の意図するところではありません
これで終わりの場面ではなく
ターミナルにむけての試みなので早ければ早いほど効果的で満足度が上がる過程が良いのですが、信頼関係や心を開くタイミングやこちらが全体を把握するのに、時間がかかるのであって決してこのホームカミングデイが最後ね?!ではありません
もうひとつは自分たちの自己満足にならないよう心がけなければなりません
肝心なことは捉え方です。
私の思い…
利用者さんには日頃のコミュニケーション(心通わせる)の中から情報を元に食事の重要性、ケアの重要性、家族や周りとの関係の重要性など家族の方にも話していくと必要なことは何か見えてきます。それが本当のケアプランだと自負しています。
その行為がターミナルを迎えるにあたり実行出来たか、出来ていなかったで最期の迎え方が違い、まったく別の最期が見えてきます。穏やかに最期を家族と共に迎えることが出来ます。
満足いく最期を迎える為には
やり残したことを一つでも出来る事
自分自身を認めてもらえる
生きた証を残す事
お世話になった方々への挨拶
人それぞれにある天国へ行くための準備等があるのでは…
それを出せる、環境が見える、感じられる場所に、ほほえみケアを実践することで利用者さんたちは変わっていくというか、見せても良いんだ、心を開いて良いんだと、最期の場面を諦めなくなるんだと思います。
そんな数々のホームカミング
事例1
ホームT・U 美術館 お客さんをおもてなしするのはいつも美術館
合計2回実践しました。
自身の家が施設の前で、どうしても家で生活されたいという思いがあり、スタッフに対しても不信感しかなかった方が、心許せるスタッフが出来た際に自身のエピソードを語り始めました。戦争で命を拾ってくれたフィリピン人の話し、韓国、北朝鮮での幼少期、日本に戻ってからの恩師のこと、大学を卒業し出会った奥様の父のことなど、そして必ず恩義として日本へそして美術館や自宅に招いていたと…
そのスタッフにいつからか自宅にそして一緒に美術館へ行こうと言うようになりました。
その恩義を信頼関係と受け止めホームカミングをしました。高齢になられて介護ができない奥様につらい言葉をかけることがなくなりました。実際に自宅で過ごした際にそろそろほほえみに帰ろうか?と奥様を驚かせました。
事例2
動物園 こころ落ち着くのは動物に囲まれている時、心落ち着けて過ごしたい
ほほえみ生活に不満があり、息子に捨てられたという考えをお持ちで息子と会わなければ寂しさやストレスから自傷行為や暴力行為となり、息子さんが来園すれば連れて帰ってもらえないと怒り出し息子さんやお嫁さんを困らせていました。会いに来るだけではなくお出かけを試みました。態度は一変し息子と心通わせ穏やかな表情を浮かべ「子供のころよく連れてきたんだ」と自慢げに動物園の話をしていました。「あの子は泣き虫やった!この子もや」と2人の息子さんへの愛情の深さといっしょに暮らしたい思いを改めて感じました。
事例3
ホーム ワシが建てた家や! この辺ではワシが一番
もうあかん!と口癖になり、大好きな風呂も入るのが嫌になってしまわれた方に
家では風呂好きで、働き者でだれにも負けないと言われていた方に、うちに帰ることで自信を取り戻してもらいほほえみ生活に安心感を取り戻してもらえるようにと立派なお家にお邪魔しました。車から見える景色に「あそこはな!ここはな!」と多弁になりだしました。お家でも一家の主としての威厳を取り戻し指図や合図で息子さんやお嫁さんにおもてなしをさせることで表情もよくなりました。
「親父はよくやってきたわ」と息子さんも自慢の父であったのが伺えました。そういう環境や習慣からかけ離れた生活が続くというのは周辺症状をより作りやすいんだと実感しました。
声掛けには良い人で立派で大きな家で1番仕事したというキーワードを入れることで表情が穏やかになり入浴もスムーズになり落ち着いた環境に気を配れるようになりました。
事例4
ホーム 息子の短かった私との時間を埋めるため お墓参り ♪
突然、おとなしい性格で控えめな方が、何月何日と言う言葉に敏感になりだし「私帰れんの?帰れるんやったら帰りたいねん」と言い出しました。帰る理由は話さないし突然で困惑しているとあるスタッフに打ち明けました。息子の命日があると…子供に恵まれていなくご主人と二人暮らしと聞いていたのに実は息子がいたと?何度も流産を繰り返しやっと生まれてくれた子も数日…7日間で死んでしまっていたと言う話でした。早速お墓参りと家に帰るホームカミングを実践しました。
安堵の表情と手を合わす姿、この人がこの年まで何を大事に何を糧に生きて来られていたのかが、共に手を合わすことで見えてきました。今も息子に手を合わせる日を心待ちにほほえみ生活を続けています。
事例5
ホーム 孫の代になる前におかあちゃんに育ててもろた家で最後の時間
毎日食事介助に来てくれていた娘さんがお母ちゃんのお家建て変えることになってと話されました。建て替えた新しい家の方にまた連れて行くからと言われました。毎日来ては建て替え前のお家での思い出話をしていました。そんなに思い入れがある家にお連れ出来ないのは悲しいのでホームカミングを持ちかけました。建て替え前にお経を感謝の気持ちを込めて唱えるといわれるので行くと家族親族総出でお迎え頂き大変大がかりな場面になりました。
一緒にお経も唱えさせてもらい家族の昔話を聞き素晴らしい時を一緒に過ごせたと家族も大喜びでした。数か月後急変し状態悪くなられ、新居にはいくことは叶わず看取りを迎えましたが、お孫さんや娘さんが交代で泊まり込んでくれました。お家にあった思い出の品をいくつかお部屋に置いて安堵感を出しました。娘さんより本当に良いタイミングで連れて帰れましたと言っていただけました。
事例6
買い物は最期に着る服、一緒に選んでちょうだい
ほほえみに15年間入所し最初の3年間は郵便局やお買いものは自力でされていました。
ほほえみのスタッフに恋をして手紙を毎日毎日つづっては思いを寄せていました。宝くじやバレンタインという買い物も大好きなスタッフとしていました。
状態が落ちて大好きなスタッフもやめてしまい心通う人が少なくなっていました。
そんなある時彼女を元気づけようと大好きだった彼に手紙を書いて送ってもらいました。
状態は落ちていましたが意欲が沸いてきていました。財布はどこ?手紙を書く…か細い声で擦り切れた声を必死に出して最後の思いを語りました。うどんが食べたい…お風呂に入りたい…手紙を読みたい…
買い物に行きたい…すべてのことをやり遂げ彼からの手紙を握り、選んだ服に身を包みスタッフに看取られました。
事例7
創設記念出席 涙と笑いの再会
ほほえみのケアハウスで生活し自立してきた方が特養入所となり徐々に日常生活が困難となり介護を受けることが日常となりました。感謝や神様の与えた事と全てを受け入れて生活していました。
認知症も進み日に日に分からない日が増えてきましたが馴染みの関係を築いているスタッフと話せば落ち着いていました。
自身の息子さんが先立つと言う最悪の事態に周りや家族も動揺しました。案の定生活環境は悪化することとなりました。
そんな時教会へのホームカミングを思いつきました。頻回に教会の事を話すようになっていたので牧師様に連絡を入れてみると大切にしてきた思い出の地、教会の創立記念に合わせ、「お招きしようと話していたんです」と導かれていた事が分かりました。牧師様の配慮から創立時からオルガン奏者であったことや寄付、全てにおいて中心人物であったと言うお話を聞かせてもらいました。
当日の説教は『神があなたをお呼びです』と言う題を牧師様が選んで来てくれました。素晴らしい牧師様と関係者様の配慮があり総勢50名以上ものゆかりのある方が、集まりこの方が好きだった讃美歌を盛り込んで下さり、涙ながらにご家族も感極まってられました。
牧師様が大きな声で主があなたをお呼びです!と始めた時「はい」ときっぱりといい返事で返していました。このケースでは家族やその方の取り巻く環境や背景が浮き彫りになりました。本当に充実した時を過ごし、2ヶ月後ほほえみの創立記念日に家族とスタッフに看取られほほえみながら97歳で亡くなられました。
ほんの一部ですがこのブログを通じて発表させて頂きました。
2013年の大阪老人福祉施設研究大会でのものを編集しています。
載せようと思ったのは、あるショートステイの御利用者さんからの御助言とNPO法人スマイルスタイルの取材があった時にホームカミングデイの取り組みに感激してくださった事がきっかけでした。